再掲、個人的主観

以前運営していたサイト「マキケンジロウドットコム」に載せていた文があまりにも良かったので(自画自賛)こちらに再掲します。

 

個人的主観

人に聞かれた際、初めて出会ったのはルフロン広場のライブだったと簡潔に答えてはいるが、実は中学生のとき(1994年初旬)にGBという音楽雑誌に「ギターひとつで日本一週している男」というモノクロページを目にした事が出会いだった。当時は自転車少年などがワイドショーを賑わせ、私は現実逃避の手段として日本一周すれば学校行かなくていいんじゃね?みたいな気持ちもあったことから記事に心引かれたのだ。その頃はなけなしの小遣いで買った音楽雑誌(ミスチル目当てだったんだが)を隅から隅まで読んでいたのだが、彼のページは何度も読み返した記憶がある。記事の締めは「またこの雑誌に載るときは彼がメジャーデビューしたときだろう」だった。

それから8年ほど経ったであろうか、染谷俊というアーティストのライブに行った時にもらったチラシに牧謙次郎の名を見たとき記憶が蘇った。ああ、戻ってきたんだと。と書くとまるで生き別れた兄弟に会うような運命的な風にとられるかも知れないが、似た名前の人かもしれないという思いもあったのでとりあえずネットで検索した。だが、確証は持てなかった。あまりにもネットで見た彼と中学のとき見た彼とはイメージが違ったからだ。

ネットで知った情報によると(はしもとくんのサイトだったな)狛江でラジオのイベント中継みたいなのがあると聞いた。軽い気持ちで聞いていたらすごい衝撃だった。確かそのときは「すべては宇宙のかけら」と「飾りの言葉」を歌ったと思う。もう中学のとき雑誌で見た人とかどうでもよかった。気がついたらPVの公開録画をするというルフロン広場にも行っていた。CDを買うとサインをしてくれるとのことだったのでちゃっかりサインまでもらってきてしまった。サインを貰ったときに恥ずかしそうにしている様子を見ていると、歌っているときと普段のギャップもまた不思議で惹かれるものがあった。普段は落ち着きがなく恥ずかしがりやな子供のようだったからだ。成るようにして曲だけでなく彼の発言にも興味を持つようになった。初めは変わった人をウオッチングするような太刀の悪いものだったかもしれない。そうこうしていたら6年以上の長い付き合いになっていた。

ここから先は憶測というか私見になってしまうが、牧謙次郎の根底にあるのは自分はどこからやってきてどこへいくのであろうかというルーツを探ることであると思う。過去の発言や歌詞に垣間見ることができる覇気のあるモラトリアムな要素が動なら、ルーツ探りは黙々と掘り下げる作業なので静になる。今はもうRightSpairal付近のような尖ったパフォーマンスは見られないかもしれないが、根底にあるものはなにも変わっていないと思う。こちらもどんな形になるか分からないがリアルタイムで見せていってくれるだろう。「歌いたい事が歌いたいように歌えるようになった」と言ったときから第二幕がスタートしたのではないかと思う。 


2006.4.10